大正から昭和にかけて文化財建造物の修理技術者として活躍した
稲垣庄造(幼名 正造)は、1894(明治27)年三重県伊賀上野の奥谷家の三男と
して生まれ、その後京都に移り稲垣分家を相続している。彼が30歳になった1924
(大正13)年から6年間ほど関東に移ったが、また1930(昭和5)年には京都に戻り、
1973(昭和48)年、78歳で他界するまで京都に在住している。
西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 歳 | |
1894 | 明治27 | 12 | 10 | 0 | 旧藤堂藩郷士系奥谷(葛原)勘兵衛三男として伊賀国阿山 郡(伊賀上野)に生まれる 幼名 正造 |
1905 | 明治38 | 4 | 10 | 白鳳高等科に入学 卒業は4年後の1909(明治42)年 | |
1912 | 明治45 | 4 | 17 | 京都工学校に入学 卒業は翌年 | |
1912 | 明治45 | 11 | 17 | 伊賀開化寺三重塔に掛かる。規矩術を猛練習。 | |
1921 | 大正10 | 11 | 26 | 明通寺本堂(国宝)修理監督の為福井県嘱託拝命 | |
1922 | 大正11 | 11 | 27 | 滋賀県国宝修理技手拝命 油日神社に就任 | |
1924 | 大正13 | 11 | 29 | 神奈川県嘱託拝命 鎌倉建長寺 仏殿 昭堂再建 | |
1925 | 大正14 | 11 | 30 | 東京工務所に入る | |
1930 | 昭和5 | 10 | 7 | 35 | 東京を引き上げ京都に戻る |
1931 | 昭和6 | 5 | 36 | 京都府技師安間様の要請もあり 滋賀県技手拝命 御上神社本殿修理監督 |
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1932 | 昭和7 | 3 | 37 | 福井県嘱託拝命 気比神社大鳥居修理監督 | |
1939 | 昭和14 | 5 | 44 | 石清水八幡宮東総門他十四棟 修築にかかる。 | |
1940 | 昭和15 | 46 | 有信号を発表す(有沢家分家) | ||
1945 | 昭和20 | 5 | 3 | 50 | 丸正工業会社へ入社。重役に就任。 |
1948 | 昭和23 | 54 | 丸正工業会社を退社 | ||
1950 | 昭和25 | 1 | 15 | 55 | 稲垣啓二の創立した稲垣工業株式会社入社 |
1954 | 昭和29 | 60 | 東福寺の仕事を始める | ||
1958 | 昭和33 | 6 | 2 | 63 | 正造を庄造と改名許可が下り戸籍訂正 稲垣分家を相続 |
1971 | 昭和46 | 77 | すべての仕事から引退 | ||
1973 | 昭和48 | 11 | 7 | 78 | 他界 |
「明治末から昭和戦前期における文化財建造物の保存修理活動に関する研究」
-稲垣正造の事跡を中心として-
神戸大学大学院自然科学研究科博士前期課程 修士論文より抜粋
平成12年2月 建設学専攻 川旗 賢二 氏作成
主査 神戸大学 教授・工学博士 足立祐司氏
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